《ゴールドパール》は田中産業株式会社が企画・開発・製造する国産高級タオルです
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西暦 元号 今治織物の歩み
749
奈良朝
天平18
正倉院南倉の御物の_(あしぎぬ)に「伊予国越智郡○井郷葛木部龍調、○六丈天平十八年○月」とある
1559〜91
永禄・天正
三河の国に漂着した崑崙人によって持ち込まれた綿花の種が西日本の温暖な国々(紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予等)で栽培される
1600〜1867
江戸
藩政時代
今治地方で棉花栽培が盛んに行われ、農民(婦女子)はそれを紡ぎ、小幅白木綿を製織する
1716〜35
享保年間
今治商人 柳瀬忠治義達が実棉と綿布(白木綿)の交換制度(綿替木綿)を始め大阪市場に出荷する(今治地方での綿織物業の始まり)
1830〜43
天保年間
深見理平が棉替木綿を営むと、4・5名の同業者が現れ、棉替木綿が大いに発達
1843〜53 天保〜嘉永年間
棉替木綿商が続々起り、白木綿の年産額は平均30万反に及ぶ
1860〜63 万延〜文久年間
白木綿の粗製濫造の弊害が生じ、一大悲境におちいる
1861〜63
文久年間
今治藩は棉替木綿商人18人を指定し白木綿の取扱いを許す代わりに運上金を藩に納入させ、棉替木綿を管理下におく
1868〜77
明治
元〜10
営業の自由が認められ棉替木綿商人は増加し、白木綿の生産は年40万反におよぶ
1882
15
紡績糸を使用した泉州・播州の優良廉価な製品や輸入品である金巾に押され、白木綿は衰退
1885 18
白木綿の生産は年1万8千万反まで減少する
同年12月、矢野七三郎は同志4人と和歌山に赴き、綿ネルの製織法を調査研究し、興修社(後の興業舎)を設立する
1886 19
矢野七三郎らは今治町内三番町に工場を設け、木綿織機8台で綿ネルの製織を始める(今治地方の綿ネルの始まり)
矢野七三郎は同年5月、今治町内通町に工場を新設し、綿ネルの改良に努め、販路を確保して事業の基礎を確立する
1888
21
柳瀬三郎外3名は紡績糸を移入して白木綿の製織を促し、その結果生産は年8万3千反弱に達する
1889 22
柳瀬春次郎外5名は組合を設立して伊予木綿(白木綿)の製造を奨励する
綿ネルの創始者である矢野七三郎が不幸毒刃に斃れる
矢野七三郎の遺業は親戚に当たる柳瀬義富が継承する
当時の綿ネル業者3名、綿ネル織機90台、生産年1400〜1500反
柳瀬三郎外10名は株式会社を設立し、伊予木綿(白木綿)の品質向上、名誉の維持に努める
前神峯太郎は京都で西陣式バッタン(シャクリ)を学び、今治の織機に取り付け生産性を4〜5倍にあげる
1892
25
一説によると、村上綿ネル合資会社が綿ネルを中国に輸出(今治地方の綿ネル輸出の始まり)
1894
27 当時の綿ネル業者9名、木製織機1100台、生産年5万3千反
阿部平助は今治町内風早町で改造織機4台を用いてタオルの製織を開始する(今治地方におけるタオルの始まり)
1895
28
白木綿の生産年500万反に達する
1912
大正
初期 綿ネル織機を利用して綿ネルの不需要期に副業として広巾織物の製織を始める
1917
6 第1次世界大戦の好況を受け、白木綿に比べ綿ネル・広巾綿布、殊に尺六綾布は利益が多く、広幅織物製織に転換する
1919
8〜11 第1次世界大戦の好況によりこの4年間で1408台の広巾力織機が増設される
1921
10 この年の生産は広巾綿布年119万反(746万円)、綿ネル64万反(645万円)、タオル97万打(131万円)となる
1923
12
唯一伊予木綿(白木綿)をつくっていた丸今綿布?もその生産を中止し、綿ネル・広巾綿布に転換する
末期 輸出の増加により広巾綿布が今治地方の主力製品となり、代表である縞三綾の生産は一時であるが全国一を占める
1926
昭和
1 今治織物の主力製品は広幅織物(代表は縞三綾)となり、綿ネルはその地位をゆずる
1943
18 企業整備により、それまで60社(織機6434台)あった織布工場は25工場(織機3263台)となる
1945
20 8月5日、米軍機B29による今治市大空襲により、織布工場で残ったのは19社(織機1785台)
1951
26 この頃、タオル業界の好況が続き、広巾綿布業者はタオルに転業、或いは兼業するものが増加し次第に綿布からタオルに転換する
1957
32 設備過剰により、綿スフ織機の買上廃棄が始まる

1989

平成
タオルへの転換が進み綿布製造は次第に衰退、現在は(平成16年)は今治地方では綿布は殆ど生産されていない

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西暦 元号 今治タオルの歩み
1894 明治
27
今治の機業家 阿部平助が改造織機4台でタオル製造を始める
1910
43
今治の人 麓常三郎がタオルを同時に2列製織できる二挺バッタンを発明(麓式タオル織機)
1912
大正
初期 今治地方のタオルが南支方面に輸出される(これが当地方の輸出の嚆矢である)
1912
中村忠左衛門が単糸先晒縞タオルの生産を始める(それまでのタオルは後晒であった)
1915
4 山田才一郎が三重地区から森式足踏機を購入し、今治で普及させる(今治のタオル生産量21,800打、15万円)
1918
7 山本紋治がタオル製織用として原田式小幅力織機を初めて導入する(これが力織機使用の最初でありタオルの産業革命といえる)
1921
10 今治のタオル生産量97万打(131万円)と飛躍的に伸び全国の34%を占め、三重を抜き大阪に次いで第2位のタオル産地となる
1923
12 愛媛県工業講習所(現繊維産業試験場)の菅原技師がタオル専用のドビー機を考案
1924
13 愛媛県工業講習所の菅原技師が厩機をタオル織機に改造し200口の半木製ジャカード機を取り付け試織を行い、ほぼ成功を収める
1925
14 続いて600口のジャカード機を購入し製織に成功する(これが今治地方におけるジャカード機利用紋タオル製織の濫觴である)
1926
昭和
1 今治タオル産地は企業数70社、力織機1,172台、足踏機129台、その他16台の規模となる
1943
18 第2次世界大戦突入から2年後、企業整備によりタオル業者23社、823台が残るのみとなる
1945
20 8月5日、米軍機B29による今治市大空襲で壊滅的打撃を受け、終戦時にはタオル業者9社、織機275台となる
1949
24 今治地区の輸出は857,678ポンドとなり、全国タオル輸出の80%と大幅な回復をみせる
1951
26 景気低迷による生産過剰からタオル市況も悪化し、8,600台のうち4,233台が休機に追い込まれる
1952
27 「特定中小企業安定に関する臨時措置法」がタオルに適用され、設備及び生産の調整を進める
中四国タオル調整組合(現四国タオル工業組合)が設立される
1954
29 織機設置制限令(調整規則、織機設置制限規則)が公布施行され登録制が実施される
愛媛県染織試験場(現繊維産業試験場)がタオル織機の自動化に成功する
1957
32 中小企業団体の組織に関する法律(通称・団体法)が施行される
30年代前半、タオルケットが開発される
1958
33 団体法に基づき、中四国タオル調整組合は四国タオル工業組合に改組となる
30年代中葉から38・39年の不況までの数年間、タオルケットが爆発的売れ行きをみせる
35 タオルケットの爆発的売れ行きによって生産量が伸び、ついに大阪を抜いて日本一となる
1965
40 チーズ染晒法が愛媛県染織試験場などによって開発される
1966
41 天皇陛下が今治のタオル工場(田中産業株式会社)を視察される
昭和40年代に入って、プリントタオルが盛んになる
1968
43 今治タオル産地の象徴である「タオル会館」が旭町に完成する
1969
44 愛媛県染織試験場で無杼織機(革新織機)が開発される
1971
46 対米繊維輸出自主規制に伴い、過剰織機の買上げ廃棄が行われる
1973
48 織機の登録に関する特例法により、ヤミ織機3,449台が登録され、組合員数497社、織機台数9,332台となる
1974
49 捺染業界はこの頃から、手捺染から機械捺染に急速に移行する
1975
50 「あなたのアイデアをタオルに」と広く全国の消費者からアイデアを募集し、開発した新商品の展示会を地元及び大阪で開催する
日本最初のファッションショーを松山にて開催する
1978
53 札幌において新作展示発表会並びにファッションショーを行う
1979
54 タオルが産地振興法に基づく特定業種に指定され、振興事業の一環として仙台にて新作展並びにファッションショーを行う
1981
56 55年の広島に続き、初めて首都東京にてコットンパイルファッションショーを開催する
新型レピア織機が愛媛県染織試験場と矢原織機製作所によって開発される(大量生産型の革新織機を改良したもの)
1985
60 初めて米国の見本市「ナショナルバス・ベッド&リネンショー」に出展する(平成3年まで7回連続出展)

1989

平成
1 四国タオル工業組合などの繊維団体が東洋紡績今治工場跡地を購入する
1990
2 第三セクター「今治繊維リソースセンター」を設立する
1991
スペインのバルセロナデザインセンターと提携し、今治タオルのCIを導入する
3 通産省の繊維産業高度化促進施設「テクスポート今治」が東洋紡績今治工場跡地に完成する
1993
5 昭和27年から続いてきた設備登録制が廃止され、統制の歴史に終止符を打つ
1994
タオルが中小企業集積活性化法の業種指定を受け、集積活性化事業を開始する
6 今治タオル産地が100周年を迎え、記念式典及び記念イベントを行う
1996
8 今治オリジナルブランド「ふわり」を開発し、展示発表会をテクスポート今治で開催する
1998
10 瀬戸内しまなみ海道開通のプレイベントとして「今治タオルフェア」をテクスポート今治で初めて開催する
1999
11 本四連絡橋 尾道・今治ルート「瀬戸内しまなみ海道」が開通する
2002
14 11年振りに米国の見本市「NYホームテキスタイルショー」出展し、2社がグランプリを獲得する
15 東京銀座にタオルショップ「いまばりタオルブティック」・群馬県太田市に「タオルファクトリーいまばり」がオープンする
2004 16 小泉総理が今治のタオル工場(近藤繊維工業株式会社)を視察される
2006 佐藤可士和氏による“imabari towel”のブランドマーク作成
2007 6 今治タオル見本帳を作成0
6 東京ビックサイトにて今治タオルプロジェクト展開催
7 タオルソムリエ資格試験開始
9 伊勢丹新宿店に常設“imabari towel”ブランドコーナー設置
10 世界初のタオル見本市「今治タオルメッセ2007」開催

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